携帯電話と公衆電話の関係

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昨日のことになりますが、1月17日は阪神淡路大震災が起きた日でしたね。もう19年になるんですね。当時私はその阪神淡路大震災が起きた神戸市で働いていましたので、震災後は従業員の安否確認を毎日していましたし、神戸市内のお店の復旧作業などをしていたわけです。今はそのときに勤めていた会社は辞めて別の道を歩んでいるわけですが、1月17日がやってくるとやはり今でもその時のことを思い出してしまいますね。

タイトルに書いたことなのですが、今でこそ小学生の子供でも携帯電話を持っている時代ですが、19年前の携帯電話普及率は20%ぐらいあったかなかったかぐらいだと記憶しています。生意気にも当時若輩者の私は基本料金16.000円払って持っていたわけなんです。私の職場の神戸事務所には当時10名のスタッフがいましたが、私と他1名が個人で携帯電話を持っていたの。本社は東京にありましたから、震災直後は事務所の電話は全く通じないもので、連絡を取るにも取りようがなかったわけです。そんな日が数日続いていたわけなんですが、次第にほんのひと時だけ通じたり、数時間だけ通じるようになってくるようになってきたわけなんですが、そんな非常事態に大活躍したのが携帯電話と公衆電話だったんです。本社の東京の1階に設置してある公衆電話から私の携帯電話にかけると、かなりの確率で通じるということを誰かが偶然でしょうが発見したのです。いろんな組み合わせがありますが、固定電話同士っていうのが一番通じにくい組み合わせで、携帯と固定電話もつながる確率は低かったですね。携帯電話同士も時々は通じましたが、完璧ではありません。ところが公衆電話と携帯電話というのは結構な確率で通じたわけなんです。誰かがたまたま公衆電話から私の携帯電話にたまたまかけてきたのがたまたま通じたからだと思うのですが、公衆電話と携帯電話の確率が高いことが分かってからというもの、それ以降頻繁に私の携帯電話が大活躍することになったわけでございます。携帯電話の電池の持ちも今とは比べ物にならないくらい悪かった時代ですから、常に充電をしながら待機していました。

今では考えられない笑い話なのですが、当時としては貴重な通信手段となったわけです。19年という歳月が経って阪神大震災のことも忘れ去られようという雰囲気になってきたように思うのですが、この時期が来ると今でも思い出す、携帯電話と公衆電話の貴重な関係という出来事でした。

 

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