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2014葛西紀明「真のレジェンドへ」
1月27日に書いた<葛西紀明「いまこの時を頑張れ」>と題して、葛西紀明選手のことを書きました。見事にスキージャンプ個人のラージヒルで銀メダルを獲得してくれました。その銀メダルを獲得した時のインタビューが良かったですね。「金メダルという次の目標に向かって頑張ります」と・・・。その時にも葛西紀明選手のことを書こうかなと思ったのですが、まだ団体戦が残っていたので書きたかったけど書きませんでした。
今朝方の団体戦で葛西紀明選手も出場し、見事日本チームは銅メダルを獲得しました。そのインタビューで、自分の子どものような選手たちに「メダルを獲らせてやれた」と彼は言って泣いていました。個人の銀メダルのインタビューでは涙を見せることなく「金メダルという次の目標に向かって頑張ります」と淡々と語っていた人が、涙を見せていました。葛西紀明選手の人柄がよく現れていると思います。
致知から配信されている今朝のメルマガに2005年8月号特集「彊めて息まず」に葛西紀明選手の記事が掲載されていたそうですが、その抜粋記事が配信されました。こちらの編集後記1月27日号<葛西紀明「いまこの時を頑張れ」>と、これから書く今朝の致知から送られてくるメルマガをお読みいただければ、葛西紀明選手が言った「金メダルという次の目標に向かって頑張ります」と団体戦の涙の意味がお分かりいただけると思います。ぜひご一読いただきたいと思います。
以下、致知https://www.chichi.co.jp/メールマガジン2014年2月18日配信分より
<【真のレジェンドへ】冬季五輪日本勢最年長メダリストの飽くなき挑戦
◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」—–2014年2月17日 ◆
一昨日、日本中が歓喜に沸きました。
ソチ五輪スキージャンプの
個人ラージヒル種目で
葛西紀明選手が銀メダルを獲得。
41歳でのメダル獲得は
冬季五輪日本勢で最年長の記録となりました。
7度目のオリンピック挑戦にして、
ようやく悲願を達成した葛西選手が
直後のインタビューで語ったこと。
それは、
「金メダルという次の目標に
向かって頑張ります」
というものでした。
真のレジェンドを目指す葛西選手の
飽くなき挑戦心に迫る──。
┌────今日の注目の人───────┐
「誰よりも遠く、高く!
限りないジャンプの魅力に惚れて」
葛西紀明
(ソチ五輪スキージャンプ
男子個人ラージヒル銀メダリスト)
※『致知』2005年8月号
特集「彊めて息まず」より
└──────────────────┘
やはり心技体、どれか一つでも欠ければ
絶対に世界は取れません。
パーフェクトなものをつくって臨まなければ
金は取れないと思うのです。
だから僕は、1シーズン通して
全部完璧なジャンプで終わらせたい。
そうすれば、オリンピックでも
金メダルを取れると思うし、
世界選手権でもワールドカップでも優勝できる。
そのためにはどうすればいいかを
ずっと考えながら、
きょうまで20年以上厳しいトレーニングを
積んできたのです。
それでも、本当に完璧と思えるジャンプは、
これまでに2、3回しかないんです。
──あぁ、わずかに2、3回……。
子どもの頃は、ただ跳ぶことが楽しくて、
何も考えずに跳んでいました。
社会人になってからは、
たくさんのスランプも経験して、悩んで、
技術的にもいろんな模索をしてきましたが、
そういう中で子どもの頃のように
無心で自然なジャンプができれば、
完璧なジャンプに近づけると思うんです。
幸い、若い頃から血を吐くような練習を
ずっと続けてきましたから、
32歳のいまでも、体力の面では
世界トップレベルを維持できています。
むしろ少しずつ伸びてさえいます。
──それは驚異的なことですね。
精神的にも、年を重ねていく中で、
悔しいこと、辛いこと、
たくさんの修羅場をくぐり抜けてきて、
常に安定した状態を保てるようになりましたね。
さらに、4年前に移籍してきた土屋ホームが
全面的にバックアップしてくれていますから、
心置きなく練習に打ち込むことができます。
(中略)
僕は負けず嫌いだから、
とにかく練習していなければ
勝てないと思って、
これまでは休むことを知らなかった。
でも、それが逆に悪いリズムを
つくっていたんですね。
毎年2月になると
成績がガクッと落ちるんですよ。
コーチから、
「これはたぶん疲れだ。
もっとリフレッシュしなければ
本来の力を発揮できない」
と言われて、1月の試合の後、
次の世界選手権までの間に
必ず1、2週間休むようにしたんです。
最初は、こんなに休んで大丈夫かって不安でしたね。
しかし、そうして臨んだ2004年の世界選手権では、
ノーマルヒル、ラージヒルでともに銅、団体で銀と、
1度に3つのメダルを取ることができ、
ワールドカップでも最年長記録を塗り替えて
31歳と8か月で優勝を果たすことができたのです。
──悲運に見舞われても、勝利に恵まれなくても、
ひたすら挑戦を続ける。ジャンプの魅力は何ですか。
ジャンプというのは特殊な競技で、
誰にもできるわけではありません。
自分の生身の体で跳んでいくこと。
危険の中で誰よりも遠く、高く跳んで勝つこと。
その喜びに、僕は惚れたんです。
これはもうやめられないですね。
──だからこそ「彊めて息まず」厳しい練習を
続けてこられたのですね。
「彊めて息まず」。好きですね、そういう言葉は。
僕の好きな「継続は力なり」という言葉にも
通じるものでしょう。
その言葉に少しでも近づけるように、
僕はこれまで努力を続けてきました。
その間にいろんな不運にも見舞われましたが、
おかげで精神力、忍耐力もついて、
金メダルへの思いを途切らせずに
ここまでくることができました。
この言葉に着実に近づいてきた
という実感があります。>
引用ここまで。
16年前に行われた1998年長野オリンピックのジャンプ団体ラージヒル。吹雪の中、日本ジャンプ界の歴史に刻まれた「栄光の金メダル」を、補欠に回った葛西はジャンプ台の下から見つめることしかできなかった。長野オリンピックの時に表彰台に立った4人の陰にいたのが、葛西紀明選手だったんです。今日の新聞の見出しにも「長野の屈辱」が原動力とありましたが、日本代表選手団結団式で葛西紀明選手は、「一人一人が【不撓不屈】の精神で取り組んできたトレーニングとソチに懸ける熱い思いを“チームジャパン”として集結し【一意専心】競技に挑みます」と語った言葉の重みが、彼だからこそ発せられた言葉だと感じました。
葛西紀明選手は、米も買えない、電話も引けないといった貧しい少年時代を過ごされたそうです。それでも大好きなジャンプを続けられたのは母のお陰。苦労を掛けた母に金メダルを取って、家を建ててあげると約束し、厳しい練習を乗り越えてきたそうです。金メダルにかける葛西紀明選手思いが本当によくわかります。ソチオリンピックでは銀と銅メダルでしたが、次のオリンピックでは本気で金メダルを取りに行くでしょうね。
頑張れ、葛西紀明。