石見銀山処刑場の場所

10月26日(土)から27日(日)にかけて式年遷宮で多くの人が訪れている出雲大社に友人3名とともに行ってきました。メインは出雲大社でしたがもう一つ行ってみたいと思っていたのが世界遺産になっている石見銀山でした。初日に出雲大社にお参りをしていましたので、2日目の朝から石見銀山に行くことに。事前に下調べを済ませておいたのですが、どうしても調べきれないことがあってそれは現地で確認することにしようということで、秋晴れの青い空の中、車を石見銀山に向けて走らせました。

私たちが見たかったものの一つが今は案内されていない処刑場跡を見ることでした。先程も書いたとおり下調べで調べきれなかったのが処刑場跡です。石見銀山を世界遺産に申請するまでは処刑場跡も案内板が建てられていたり、文献や資料なども公開されていたそうですが、世界遺産に申請する頃から処刑場などの「負の遺産」を隠すようになってきたようです。つまり過去の汚点や、悪習等残す必要はないが、諸事情により消せない もの、必要悪として存続しているものは伏せようということでしょうか。

世界遺産に認定してもらうのに「負の遺産」を隠す必要があったかどうかはわかりませんが、私自身はこうした「負の遺産」も含めて歴史だと思うのです。今の日本では死刑制度があります。この先数十年、数百年先になるともしかして死刑制度がなくなっているかもしれません。しかし数百年後に死刑制度が歴史的な「負の遺産」というようなことになったとしても、私が現在生きていて生活をこの日本で送っている以上、必死で頑張って生きていた時代の歴史として消して欲しくないと考えるわけで、処刑場跡もその時代の歴史と向き合うという意味で見たかったわけであります。

そこで検索等でこの記事を見られた方の中で、私と同じようなお考えをお持ちの方に、今は案内されていない処刑場跡の場所をここに載せようと思ったわけです。先程も書きましたが、私自身Webで調べてみましたが思うような結果を調べることがなかなかできませんでした。現地では地元の住人の方に処刑場跡の場所を訪ねてみました。「大変、お聞きしにくいことなのですが、処刑場はどの辺りにあったのですか?」「ああ、あれね・・・もう少し先だから、またその辺りで聞いてみて?」というような感じで、私が思っていた以上に皆さんちゃんと教えてくれました。島根県や大田市は「負の遺産」を隠そうとしているようですが、地元の皆さんはそんなことはなかったですね。

では早速その場所を。
現地でもいただけますが「石見銀山みてあるき」という案内に印をつけています。大田市市街地から来ると手前側の大森代官所跡バス停のところに駐車場がありますが(A地点)、そもう少し先の石見銀山公園のところ(B地点)にも大きな駐車場があります。そちらからはすぐの場所に処刑場跡があります。Bの駐車場からだと龍源寺間歩に向かって歩くと橋を渡ってすぐにCafe住留があります。その奥付近だと言われています。

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もう案内板もなにもありませんから、この辺りかなと思うところの写真も載せておきます。この写真は私は調べたWebにも載っていましたから多分間違いないと思います。やっぱり雰囲気は処刑場があったという何とも言えない空気だったような気がしています。

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もう一つの負の遺産である「千人壷」にも行ってきました。ここは山の中でなかなかわからなかった場所です。これについては近いうちにでも。

その「石見銀山 千人壺の場所」をエントリーしましたのでご覧ください。

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