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来月2月7日に開幕するソチ五輪。今回、日本選手団の主将を務めるのはスキージャンプの41歳になる葛西紀明氏です。私は正直なところ葛西選手がまたオリンピックに出場するということを知ったとき、「しぶといなぁ」とか「若手に譲ってあげればいいのに」など、日本がメダルを取れる可能性の高いスキージャンプに新たなヒーローはいないのかという思いを持っていました。しかし、よく成績を調べてみると、先日オーストリアで行われたワールドカップで優勝しているんですね。それも、ワールドカップ最年長優勝記録を塗り替えて。この優勝には欧州のメディアも葛西選手にもの凄い賞賛を送っています。
その驚異的な強さは何なのか。私が愛読している「致知」のメールマガジンに書いてありました。
葛西選手には妹さんがいらっしゃるのですが、その妹さんが94年のリレハンメル五輪の前年に、再生不良性貧血という重病に罹られたそうです。辛い治療を何度も受けたりドナー探しで大変だった妹さんに、「妹のためにもぜひ金を取りたい」と頑張ったリレハンメルオリンピックでしたが、銀メダルに終わってしまいました。そんな妹さんが病気をおして千歳空港まで迎えに来られ、葛西選手は誰にも触らせずにおいたメダルを、妹さんに1番に触らせてあげたんです。元気になってくれ、という気持ちを込めて。ものすごく喜んだに違いないと思うのですが、「ありがとう。次は金だよ」って逆に励まされたそうです。病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはない。そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ向けて気持ちを奮い立たせました。
ところが94年11月から鎖骨を骨折。完治してから怪我での出遅れを挽回するため、通常なら300本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたそうです。しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折してしまいました。
それから1年半くらい記録と遠ざかっていた、そんな折に実家が放火に遭われ、お母様が全身火傷で病院に担ぎ込まれるという災難に遭われます。なんとか一命は取り留めたそうですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、炎の熱で肺も気管も焼けていいたそうです。何度も皮膚移植を繰り返したそうですが、結局97年の5月に亡くなられました。
後から入院中にお母様が書かれた日記が出てきたそうで、それを開くといまでも葛西選手はポロポロと涙が出てくるそうです。ああ、辛かったんだろうなあって…。
貧乏と闘いながら必死で働いて葛西選手たちを育て、ジャンプまでやらせてくれたお母様に、金メダルを取って家を建ててあげるという約束をされたそうですが、その約束を果たせなかったのが、本当に残念で……。
入院中のお母様は、もう手も握れないくらいひどい状態だったようで、襲ってくる痛み、死の恐怖と必死に闘っていた、そんな中で、不調な葛西選手を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれていたそうです。
──そこに書かれていたことは。
「いまこの時を頑張れ。
絶対におまえは世界一になれる。
お前がどん底から這い上がってくるのを
楽しみに待っているよ。」と。
いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返されているそうです。
ソチの大空を誰よりも遠くに飛べ!葛西紀明
※追記
葛西紀明選手は個人ラージヒルで銀メダル、団体で銅メダルを見事獲得されました。そのことについて「葛西紀明「真のレジェンドへ」と題して書いています。併せてお読みいただければ幸いです。
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兵庫県佐用郡佐用町の朝霧です。ここ佐用町は千種川という川が流れており、寒い時期になると放射冷却現象によって千種川からの霧が山々を別世界に演出してくれます。私が撮影に出かけた日も佐用の朝霧を目当てに10名ほどカメラを持った方がいらっしゃいました。同じ兵庫県内には竹田城という東洋のマチュピチュと言われる朝霧で有名な場所があります。私はまだその竹田城には行ってませんが、チャンスがあれば撮影に行きたいと思います。でも、最近は人気スポットでゆっくり撮影というわけにはいかないようなので、もう少し落ち着いてからになりそうです。
話は戻って佐用町のこと。佐用町に限ったことだけじゃないのですが、霧が多い地域というのは結核に罹る人が多いそうです。佐用町出身者の方に聞いた話なのですが、やっぱり霧が発生するので空気が悪くなる(澄んでいない)からなのでしょうか。この佐用町は星も綺麗に見れますので、朝、夜を問わず撮影に出向くのが多いところですね。
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工場萌えバスツアーが密かに人気があり、とくに若い女性の参加が多いということを以前聞いたことがあります。確かに夜の工場はライトアップが綺麗ですし、何よりも海岸沿いにあるので、雰囲気もいいですね。昔ですと、工場イコール公害や騒音という悪いイメージがほとんどでしたが、企業の努力もあり今ではそんな悪いイメージは少なくなってきました。
私もこちらの編集後記でもご紹介させていただいた工場萌えの記事(工場萌え ダイセル網干工場(HDR)、工場萌え ダイセル網干工場その2(HDR)、工場萌え 日本触媒)に詳しく書いていますが、昼夜を問わず工場の撮影に出向いています。そんな工場撮影好きな人に朗報です。「姫路市工場景観フォトコンテスト」が開催されることになったそうです。応募は3月1日から3月31日までで、昼夜を問わず姫路市内の工場景観を撮影した作品であれば応募できるみたいです。詳しくは「たびたび兵庫 姫路市工場景観フォトコンテスト」をご覧下さい。
私も何枚か撮影していますので応募してみましょうか!!でも簡単なようで難しいコンテストのような感じがします。姫路市内の工場ですから撮影地はあまり多くないでしょうから、だいたい似た感じの写真が数多く出てくるような気がしています。それも夜の景観写真が多いでしょう。となると工場の何をメインに持っていくか、それとも偶然の賜物を一緒に写すことができるかなどがポイントでしょうか。派手にやるならクロスフィルターを装着して、工場の光を遊園地のように仕上げるとか・・・。工場の光で明るすぎるので流星とのコラボは厳しいでしょうし・・・。
3月1日までまだまだ時間がありますので、ちょっと工場萌えの撮影にも出かけてみましょうか!!
皆さんもぜひ応募してくださいね。工場萌えバスツアーの広告に採用されたり、Webでも載るかもしれませんよ。
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JR姫路駅の在来線ホームにある名物のえきそば。私が子供の頃も在来線のホームにあったわけですが、そのときは外で立ったまま食べていました。数年前JR姫路駅が高架になり若干ホームが移動したわけですが、そのときから名物のえきそばは部屋というか建物の中に入って、テーブルの上にえきそばを置いて、立ったままというのは変わらないのですが、寒い時は暖かく暑い時はエアコンの効いた中で食べれるようになりました。子供の頃は1杯80円で食べられたのを記憶していますが、今は360円になっています。
えきそばには天ぷらえきそばやきつねえきそばをはじめメニューも子供の頃から比べると増えています。2014年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の出身地とされる姫路ですが、黒田官兵衛だけに「黒胡麻」を鶏つくねにまぶした「えきそば まっ『黒田』!」というメニューもあります。私は昨日の1月21日に姫路駅で時間がありましたので、えきそばを食べたわけですが、天ぷらえきそばを食べるつもりで食券を買ったつもりが、きつねえきそばの食券を買っていたみたいで、仕方がないのできつねえきそばを食べることになってしまいました。丁度14時から17時の間はタイムサービスでえきそばが300円で食べられるのですが、そのタイムサービスの食券を買うボタンが一般の料金のボタンと違っているため、ちゃんと確認せずに押してしまったようです。それでも寒い中のえきそばは体が温まりとても美味しかったですね。
上述のとおり、2014年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の影響で姫路には多くの人が来られると思います。そんな観光客の皆様には是非姫路名物のえきそばを食べていただきたいと思います。
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この写真もiPhoneで撮影したものです。ずっと書いてきたことなのですが、今年になってからまだ愛機での撮影は行っていないんです。事が上手く運ぶことができれば、今週の木曜日にでもウオーミングアップ程度のスナップ写真でも愛機で撮影できればと思っています。
私が住んでいるところは滅多に雪が降ることはないのですが、昨夜から冷え込んでいましたし、天気予報では雪が降るかも??と言われていましたから、もしかして朝になれば白くなっているかな?なんて思いながら寝たわけですが、一面銀世界とまではいかなくても少しは白くなっていました。今シーズンの冬は寒くなると言われながら、私の住んでいるところは雪が降らなかったので、今シーズン初めて見る雪を見て、幼少の頃のような何とも言えない嬉しさが自然とこみ上げてくるのが自分自身の中でわかりました。
通勤中の電車の車内からの撮影ですが、日曜日の朝の休日の時間帯ということで乗客が少なかったため、先週の連休中と同じように変態に見られることなく撮影できました。豪雪地域の方にはこんな積雪程度の話題で大変申し訳ないことですが、私の住んでいるところでは珍しい光景ですのでお許しくださいませ。
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昨日のことになりますが、1月17日は阪神淡路大震災が起きた日でしたね。もう19年になるんですね。当時私はその阪神淡路大震災が起きた神戸市で働いていましたので、震災後は従業員の安否確認を毎日していましたし、神戸市内のお店の復旧作業などをしていたわけです。今はそのときに勤めていた会社は辞めて別の道を歩んでいるわけですが、1月17日がやってくるとやはり今でもその時のことを思い出してしまいますね。
タイトルに書いたことなのですが、今でこそ小学生の子供でも携帯電話を持っている時代ですが、19年前の携帯電話普及率は20%ぐらいあったかなかったかぐらいだと記憶しています。生意気にも当時若輩者の私は基本料金16.000円払って持っていたわけなんです。私の職場の神戸事務所には当時10名のスタッフがいましたが、私と他1名が個人で携帯電話を持っていたの。本社は東京にありましたから、震災直後は事務所の電話は全く通じないもので、連絡を取るにも取りようがなかったわけです。そんな日が数日続いていたわけなんですが、次第にほんのひと時だけ通じたり、数時間だけ通じるようになってくるようになってきたわけなんですが、そんな非常事態に大活躍したのが携帯電話と公衆電話だったんです。本社の東京の1階に設置してある公衆電話から私の携帯電話にかけると、かなりの確率で通じるということを誰かが偶然でしょうが発見したのです。いろんな組み合わせがありますが、固定電話同士っていうのが一番通じにくい組み合わせで、携帯と固定電話もつながる確率は低かったですね。携帯電話同士も時々は通じましたが、完璧ではありません。ところが公衆電話と携帯電話というのは結構な確率で通じたわけなんです。誰かがたまたま公衆電話から私の携帯電話にたまたまかけてきたのがたまたま通じたからだと思うのですが、公衆電話と携帯電話の確率が高いことが分かってからというもの、それ以降頻繁に私の携帯電話が大活躍することになったわけでございます。携帯電話の電池の持ちも今とは比べ物にならないくらい悪かった時代ですから、常に充電をしながら待機していました。
今では考えられない笑い話なのですが、当時としては貴重な通信手段となったわけです。19年という歳月が経って阪神大震災のことも忘れ去られようという雰囲気になってきたように思うのですが、この時期が来ると今でも思い出す、携帯電話と公衆電話の貴重な関係という出来事でした。
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昨日に続いて「とんど」を。昨日の写真もそうなのですが、本日のこの写真も通勤電車の中から撮影したものです。幸い昨日が日曜日で、本日が成人の日という祝日だったため、通勤電車の車内は混雑することなくガラガラでしたので、車内から「とんど」を撮影しても、回りの人から変態?に見られることはありませんでした。両日ともiPhoneで撮影したのですが、普段使っているデジタル一眼レフと違ってiPhoneの場合、シャッターを押してから所謂「カチャッ」というシャッター音がするまで、若干のタイムラグがありますので、両日の写真を見てもわかるように、写したい被写体の「とんど」が右寄りに写っています。本日の写真などは完全に右により過ぎています。これは、そのタイムラグを考えて私自身が若干早めにシャッターを押したためにそうなったものです。撮影した写真を見て振り返ってみると、「カチャッ」という音自体にはタイムラグがあるようですが、ちゃんとシャッターを押した瞬間の絵を写しているんですね。
普段使っているデジタル一眼レフですと、タイムラグはないので何も考えることなく撮影に専念できるのですが、iPhoneはタイムラグがあるので少し早目にシャッターを押さないといけないという思い込みがあったので、またひとつ勉強になったということですね。そういえばコンデジもシャッターを押してから「カチャッ」という音がするまでタイムラグがあると思うのですが、iPhoneと同じようにシャッターを押した瞬間の絵が撮れているのでしょうか?私自身はコンデジを持っていないのでわからないのですが、たまに観光地などで「写真を写してください」と頼まれたときにいつもわからないままシャッターを押していました。皆さん、私がデジタル一眼レフを持ってたくさん撮影しているのを見て、「このカメラで私たちを写してください」と頼みに来られるのですが、コンデジの使い方など全く知らない私に??なんて心の中で思いながら撮影しているんですよ。持っているデジタル一眼レフを見て、きっと「カメラが趣味の人なので上手く撮ってもらえる」と思って頼みに来られるのでしょうね。皆さん覚えておいてくださいね、デジタル一眼レフを持って撮影している人ほど、コンデジはあまり使っていないので、上手く撮ってくれると思っていらっしゃると思いますが、全く使い方すら知らないというレベルなんですよ。ですからデジタル一眼レフ所持者にコンデジをお任せするのは考えものですよ。
さて「とんど」ですが、昨日とは違った場所の「とんど」です。もう殆ど焼き終わっていますが「とんど焼き」です。明日、明後日も各地で「とんど焼き」が見れそうです。
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この写真は今朝の通勤電車の中からiPhoneで撮影したものです。準備万端の「とんど」ですが、おそらく明日13日の早朝に焼かれる予定なのではないかと思います。私の自宅近くでも昔は「とんど」を焼いていましたが、昨今は駅も新しくでき、住宅もかなり増えてきましたので「とんど」を見ることはなくなりました。ですので仕事場近くまで行かないと「とんど」を見れなくなってきたということです。「とんど」が見れるということは、それなりに田んぼがあって「とんど」を焼いても大丈夫なところ、つまり片田舎か田舎ということになりますね。写真を見て頂ければおわかりいただけると思いますが、山があって田んぼがあっての田舎です。
その「とんど」ですが、私たちのところでは「とんど」が呼び方になっていますが、全国的観点から見ると「とんど焼き」が一般的な呼び方のようです。「とんど焼き」は小正月の国民的行事として親しまれているんですね。「どんど焼き」行事の実施状況は、最北端が北海道、最南端が鹿児島県で、沖縄を除く、全都道府県で実施されているようです。そのほとんどが、集落内の路傍にまつる道祖神の火祭りとして、門松や注連飾りなどの正月飾りを納めて焚きあげる民俗行事として実施されています。
この写真の「とんど」はそんなに大きなものではなく、どこにでもある小さなものですが、大きなものになると宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡の「どんど焼き」では、毎年やぐらの高さでギネス記録に挑戦しており、2010年1月10日の祭礼では37.212メートルを記録したそうです。これだけの高さがあると迫力ある「とんど焼き」になりますね。今年の「とんど焼き」はどれだけの高さのものを作ってくれるのか楽しみです。