旅行

ANAモヒカンジェット

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懐かしのANAモヒカンジェット。同社のホームページを見てみると1969年5月から20年間、日本の空を就航したとされています。その就航当時の私は実際のところこのモヒカンジェットは好きじゃなかったんです。どちらかといえば日本航空の鶴丸のほうが好きでした。というのも当時海外に就航していたのはライバルの日本航空のほうで、よくテレビのクイズ番組などで優勝した人にハワイ旅行のペア航空券が貰えるというのが多かったのですが、その航空券は当然のことながら海外路線に就航している日本航空の航空券になるわけです。スチュワーデス(現CA)さんが制服を着て番組の最後に航空券の目録をクイズで優勝した人に贈呈するというようなありきたりのパターンを終えて番組が終了。こんな感じで番組が進行していたと記憶しています。

なのでどうしても全日空よりも日本航空のほうがブランドイメージが強く、このモヒカンジェットは所詮日本国内だけの短い路線を就航する働きが悪い飛行機というようなイメージを抱いていたわけです。20年前にはLCC(格安航空会社)などは1社もない時代でしたが、例えば日本からハワイへ行くのに日本航空で行くよりもノースウエスト航空(現デルタ)やユナイテッド航空で行くほうが安かったので、当時の私としては日本航空の航空券というのは高嶺の花でして、それが尾を引いてか今だに海外へ行くのに日本航空に乗ったことがないという状態が続いています。でもLCCは一度も使ったことはありませんよ。どうしても安全ということを第一に考えると、少しくらいのお金を出してでもLCCは乗らないでおこうと思うわけです。

話は横道にそれてしまいましたが、このモヒカンジェットは12月2日に沖縄に行くために伊丹空港で偶然遭遇したものです。私が沖縄に行く日本航空の機内に乗り込もうと進んでいたところ、エプロンに向かってくるモヒカンジェットを発見し、慌ててバッグからカメラを取り出して撮影したものです。なのでカメラに300mmのレンズをつけたまま他のレンズに交換している時間がなく、そのまま300mmのレンズで撮影しました。因みにこのモヒカンジェットは定期運航を行っていないため、運航スケジュールは全日空で確認しないといけないようです。それにしても正面から見ると怖い顔をしていますね。アンコール版だからいいものの、個人的には今のデザインの方がスマートで爽やかな印象を持っていまして好きですね。

嘉手納基地 F15戦闘機

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沖縄旅行最終日。今日はラウンドはなく那覇空港に向かう途中に嘉手納基地に寄ってきました。嘉手納基地の傍にある「道の駅」の最上階は滑走路がよく見えるため、観光バスに乗って沢山の観光客が見学に来ています。今日も中国人がバス数台で来ていました。自分のところの軍隊でも見ておけばいいのに、日本まで来てわざわざアメリカ軍の施設など見る必要などないと思うのですが、もしかしてスパイ活動でもしようと考えているのでしょうか??
ここの「道の駅」には毎日、報道関係者や防衛省のスタッフが嘉手納基地から飛び立つアメリカ軍の戦闘機や航空機をチエックしています。実際に飛び立つ戦闘機や航空機の種類や時間を書類に書き留めていました。ちょっとその書類を覗いてみようとしたのですが、秘密書類ということですぐに隠されました。報道関係者の人ともお話する機会が有り、今日の写真がF15ということを教えてくれました。私は戦闘機のことは全く知らないので、F15とかはわからないものですから、お話する機会ができて良かったですね。他にもいろんなお話を聞かせていただき、大変勉強になった貴重なひと時でした。
私がいた30分ほどの間は戦闘機が飛び立つことはなく、輸送機と小型プロペラ機が飛び立った程度で、今回は戦闘機がタキシングしているところだけしか見ることができなかったので、次に行く機会があれば朝早い時間帯の9時頃か午後1時から2時頃の時間に行きたいと思います。
それにしても12月だというのに気温が21度もあって暑かったです。4日間沖縄にいたので顔が日焼けしてしまいました。ゆっくり休養してまた仕事を頑張ろう!

瀬底島へ

 

天気に恵まれた沖縄旅行。3日目も快晴の中、午前中はラウンドで楽しみ午後は少しだけドライブを。

宿泊しているホテルの前にある瀬底島を探索してきました。やっぱり私が住んでいるところの海と違って透きとおった綺麗な水と真っ白な砂浜は沖縄の美しさを感じました。

リゾートホテルの建設が途中で頓挫している建築現場がありましたが、これもバブルの後遺症なのかなと感じながら、その頓挫しているリゾートホテル前のビーチでは若い女性たちが水に浸かって楽しそうにしていました。

明日は最終日。移動しながら那覇に向かう予定。いい写真が撮れればと願っています。

 

ベルビーチ

沖縄2日目。午前中は名護にある喜瀬カントリーでラウンド。グリーンの仕上がりが良くて結構速かったですね。昨日のサザンリンクスが遅かったので対応にとても苦労しました。喜瀬カントリーは山の高台のような所にあり景色はとても良かったですね。といってもゴルフの方が苦労したため景色を見る余裕は最終ホールだけでした。

その後ベルビーチゴルフクラブに移動してハーフを回ることに。私たちは9名でラウンドをしていたのですが、5名の人たちはハーフじゃなくて1ラウンドを回れられていました。場所を変えての2ラウンドですから皆さんとても元気です。私もそのパワーをいただきたいものです。ベルビーチゴルフクラブはどのホールからも海が見えるという沖縄でも唯一のゴルフ場です。天気が比較的穏やかでしたので風は珍しく微風でラウンドできました。明日も穏やかなお天気の中ラウンドできますように。

 

めんそーれ

沖縄にやってきました。飛行機が定刻通り離陸したものの那覇空港には15分遅れで到着したために、ラウンドするザ・サザンリンクスゴルフクラブに着いたのは13:00前になっていました。なんとか13:04にスタートしましたが、昼ごはんを食べる時間がなくお腹を空かせたままのラウンドでした。考えてみればフライト前に伊丹空港でコーヒーとケーキを食べただけですからペコペコでした。

ザ・サザンリンクスゴルフクラブは広いですね。地元の兵庫県のゴルフ場に比べるとひとつひとつのホールが倍から3倍の広さはありそうなくらい。ショットが曲がる私にとってはとても有難いゴルフ場です。ぜひ皆さんも一度は行って見てくださいね。そのコースの広さもさることながら景観が素晴らしいです。沖縄の綺麗な海に面していますのでラウンドしていても飽きがこないし、見晴らしの美しさに見惚れてしまいそうです。ゴルフの方も海越えのホールも存在しますし、風が強いのでクラブ選択が難しいです。いやー、とても素敵で美しいゴルフ場でした。

明日もラウンドの予定でお天気も良さそうで楽しみです。週明けでお仕事を頑張っている人には遊びのお話しで申し訳ない気持ちでいっぱいですが、今週1週間も頑張っていきましょう。

 

11月25日ドクターイエロー

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残念ながら天候が悪かったので11月25日のドクターイエローの撮影は断念することに。明日も一日中予定が詰まっているので11月26日のドクターイエロー上り検測も撮影はできないですね。残念。

雨の中のドクターイエローも絵になるんでしょうが、傘を差して線路際で待機していることにどうも気が進まず、かといって最寄の駅に行ってもこの横殴りの雨では機材や私の体もずぶ濡れになりそうなので、おとなしく仕事に打ち込むことにしました。

ゆるきゃらグランプリ2013が行われましたが、島根県の「しまねっこ」が10位に入ったようです。1位は栃木県の「さのまる」でしたが私はこの「さのまる」は知らなかったなぁ。といってもベスト10に入っているキャラクターで知っているのは「しまねっこ」だけ。これもたまたま10月に出雲に旅行に行ったからで、ざっとベスト30までを見ても知っているキャラクターは22位の「おかざえもん」(愛知県)ぐらいです。いかに私が地方のキャラクターに弱いか・・・・。このゆるきゃらグランプリ2013にエントリーされている順位を見てみると最下位が1580位となっています。ということは1580ものキャラクターが最低でもあるってことなんですね。地方の経済は正直なところ芳しくないと思うのですが、各地がこうやっていろんなキャラクターを前面に出して、観光客の誘致に知恵を絞っているのがよくわかります。10年以上前からゆるキャラは存在していたそうですが、火付け役となったゆるキャラは「ひこにゃん」だと言われています。最近では「ふなっしー」が有名ですね。因みに昨年行われたゆるきゃらグランプリ2012の1位は「いまばりゆるきゃら バリィさん」(愛媛県)で、「しまねっこ」もエントリーしていまして6位となっています。今年1位の「さのまる」は4位ですか。ということはその気ならば毎年毎年エントリーしたっていいわけなんですね。

ご当地のお話ついでにB1グランプリのことも。こちらはグルメの祭典ですから自分たちが住んでいるところの近隣のグルメが上位に入ると食べに行きたくなってきますね。ニュースを見ていてとても美味しそうですし、何よりもこっちのほうが投票に割り箸の量で順位を競っているのがいい。実際に会場で食べた人たちの投票になるわけで、現実問題として全てのエントリー料理を食べるのは不可能で、ネーミングから「美味しそう」や「食べてみたい」と感じさせる演出が必要になってくるし、近くを通ったときのあの食欲をそそる匂いや料理を作る技術を見せるということも大切になってきます。そのB1グランプリは今年で8回目になったわけですが、一昨年の第6回大会で見事グランプリに輝いた「ひるぜん焼きそば」。私たちが出雲に旅行に行く途中で通ったところなんですが、立ち寄って「ひるぜん焼きそば」を食べていれば良かったなぁ・・・なんて今になって思うところです。ちゃんと調べておけばよかったのですが、行く前はノーマークでした。また旅行に行く機会はあるでしょうから、今度はグルメもちゃんと下調べしようと思いました。

日本最古級の電車

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出雲大社のお話をもう少しお付き合いください。一畑電鉄の出雲大社駅には日本最古級の電車があります。日本最古ではなく日本最古級です。食品偽装事件が世間を賑わせていますが、関係者にはこういった言い方を謙虚に見習っていただきたいものですね。決して最古と言い切ることなく最古級というこういう言い方。嘘をついて客を騙した有名ホテルのレストラン関係者に、一畑電鉄の姿勢を勉強してもらいたいものです。その最古級の電車ですがこのオレンジ色の車両がそれです。映画「RAILWAYS」の中で最も多く登場し、強く印象を残した「デニハ50形」です。

このデニハ50形・52号車が出雲大社駅に展示されています。中を見ることができますので私も電車待ちの時間を利用して見学してきました。

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木の床に木の窓枠そして木の鎧戸などレトロな雰囲気がとてもいいですね。もちろん運転席も見れますし触ることも可能です。製造年月日は昭和3年となっていますから現在83歳ですか。皆さんもぜひこの日本最古級の電車を出雲の思い出の一つとして会いに行ってみてください。

明日25日は日本の最先端の技術が駆使された「ドクターイエロー」の検測日です。日本最古級の電車を案内したあとに世界の最先端の技術を搭載したドクターイエローを見る予定?というのも時代を感じずにはいられません。

一畑電鉄に乗りました

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石見銀山の話をしましたので前日に行った出雲大社のお話もしましょうか。私たちは車で出雲大社へ向かう予定でしたが、式年遷宮で全国から多くの参拝者が出雲の杜にやってきています。出雲大社周辺の駐車場は当然の如く混んでまして少し離れた島根ワイナリーの駐車場に車を止め、そこからバスで出雲大社へ行かざるを得ないという情報を宿泊する平田メイプルホテルの人から聞いていました。車で行くかホテルに車を止めて一畑電鉄に乗っていくか迷いましたが、4人で相談の上こういうときにしか乗ることのない一畑電鉄で行こうということになりました。で、一畑電鉄で行って正解でしたね。

雲州平田駅から乗車したのですが、この雲州平田駅は自動改札ではなく昔ながらの切符きりです。そして撮影したい方は駅員に言えば先にホームに入れてくれるというオモテナシがあるんですね。先にホームに入れてくれる・・・。都会の方はピンとこないかもしれませんが、地方のローカル線ですから電車の本数はいたって少ないです。ですから発車10分くらい前にならないとホームに入れてもらえないんですよね。しかしカメラ小僧のワタクシは「撮影を希望する人は駅員にお知らせください」というような文言のチラシを見て胸が高鳴りました。これは撮影させていただこう!!ということで駅員に撮影したいという意思を伝えホームに入れてもらい古い電車などを撮影させていただいたわけです。

もう一つ初めての体験がありまして、バスガイドは皆さんよくご存知だと思いますが、一畑電鉄は電車ガイドとでもいいましょうか、案内してくれる女性のガイドさんがいらっしゃいるのです。途中の駅からでしたが、出雲大社のことや一畑電鉄周辺のことなどの説明を聞きながら出雲大社駅まで案内してくれます。いやぁーーとても素晴らしい時間でしたね。至福のひとときでした。

私たちが乗った一畑電鉄の車両も年季が入っていて良かったですよ。元は京王電鉄が使っていた5000系という車両です。京王電鉄から引き継いで一畑電鉄が使っているようですが、京王といえば昔、橋本から京王多摩センターまでよく利用していました。京王の車両だったと知ってからなんか懐かしく思ってきて昔のことなどが蘇ってきました。東京で多くの人を乗せて大活躍した車両が引退して神話の国出雲で第二の人生を送っている。一畑電鉄では都会と違いケジュールにも余裕があってマイペースで田んぼの横を走っていますよ。もう少し頑張ってくださいね。

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元京王電鉄5000系車両。東京という日本一の都会で大活躍した後、神話の国出雲で第二の人生を過ごしています。今も「”ご縁電車”しまねっこ号」という名前で活躍しています。

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雲州平田駅で見かけた懐かしい車両。鉄ちゃんにはたまらないでしょう。

石見銀山 千人壺の場所

石見銀山のことについて前回書いた「石見銀山処刑場の場所」の続きで、今回は千人壷の場所を書こうと思います。この千人壺は銀山の銀を盗むなどして処刑された罪人の遺体や回復の見込みのない病人、伝染病が疑われる重篤患者などもこの穴に放り込んだと言い伝えられています。数え切れないほどの遺体を放り込んだため”千人”と命名されてそうです。実際に現場を見ましたが数え切れないほどの遺体を放り込んだと言われている割には小さいなというのが感想ですね。この千人壺にもいろいろ諸説があるようですが、現在は観光案内のパンフレットなどからすべて削除され、官民一体となって隠そうとしているような感じです。私も石見銀山世界遺産センターのスタッフに「千人壺の場所を教えていただけませんか?」と尋ねたところ、「ご案内できません」とまるで私が悪いことでもしたかのような口調で言われてしまいました。そうなると自力で探してやろうということになり、砂利道や草が生い茂った山道を歩き見つけたわけです。

ではその千人壺の行き方ですがとてもわかりにくいです。五百羅漢から石見銀山世界遺産センターに向かっていく道から右折し途中から歩いていく方法と、石見銀山公園駐車場の奥からアスファルトの山道(車の乗り入れは不可)を歩いていく方法の2通りがありますが、私は前者の方法をお勧めします。なぜなら私たちははじめは後者の方法で行きましたが、2時間ほどかかっても探しきることができず、アスファルトで舗装された道ですがかなりきつい登りで膝が笑ってしまいました。ですので私は五百羅漢から石見銀山世界遺産センターに向かう方法で案内したいと思います。

まずは前回と同じく「石見銀山みてあるき」の地図をご覧下さい。

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車で五百羅漢から500~700mほど進んだA地点を右折します。右折した道は乗用車1台がなんとか通れる程の細い道で山裾を走っていくような感じになります。右折するのに目標となるようなものはありませんが、緑色の壁をした1階が小さな工場か倉庫で2階が住居になっている建物のところを右折したという記憶があります。

行き着いたところC地点に「千人壺へ300メートル」と書かれた看板があります。

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この前に車を止めるかB地点に車を止めることができますが、この看板の奥には家がありますので邪魔にならないように止めればいいでしょう。この看板から左方向の山道を登っていきます。途中、車庫か倉庫のような建物が有り、そこで右方向にも行けるように別れていますが、真っ直ぐ直進してひたすら登っていきます。ここからは草は生い茂っているは水は流れているはでかなり足元は悪化してきます。それで大体300m近くになってきたなと感じるまで上がってくれば右側を注意しながら歩いてください。そして小さな石碑を見つけてください。

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私たちは昼過ぎにこの山道を歩いたのですが、ご覧のように太陽の光に向かって歩くような感じでしたので、逆光で石碑が見つけられず一度は通り過ぎてしまいました。小さな石碑ですし草に隠れているようにもなっており、注意しながら歩かないと私たちのように見過ごしてしまうかもしれませんので十分にご注意ください。そしてこの石碑の右奥に千人壷があります。

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私たちは最初3名で行きましたが、なかなか探しきることができず結局2名だけがこの千人壺に行くことができました。それほどわかりにくい場所であったということです。先程も申し上げましたが、おそらく石見銀山のボランティアの方や石見銀山世界遺産センターのスタッフに千人壺の場所を聞いてもいい返事をしてくれないと思います。この記事を読んでいただいた方が千人壷に行くための参考にしていただければ幸いです。最後にこの写真はiPhoneで撮影したためピンボケになっている写真がありますがご容赦願います。

石見銀山処刑場の場所」をエントリーしています。一緒にご覧ください。

石見銀山処刑場の場所

10月26日(土)から27日(日)にかけて式年遷宮で多くの人が訪れている出雲大社に友人3名とともに行ってきました。メインは出雲大社でしたがもう一つ行ってみたいと思っていたのが世界遺産になっている石見銀山でした。初日に出雲大社にお参りをしていましたので、2日目の朝から石見銀山に行くことに。事前に下調べを済ませておいたのですが、どうしても調べきれないことがあってそれは現地で確認することにしようということで、秋晴れの青い空の中、車を石見銀山に向けて走らせました。

私たちが見たかったものの一つが今は案内されていない処刑場跡を見ることでした。先程も書いたとおり下調べで調べきれなかったのが処刑場跡です。石見銀山を世界遺産に申請するまでは処刑場跡も案内板が建てられていたり、文献や資料なども公開されていたそうですが、世界遺産に申請する頃から処刑場などの「負の遺産」を隠すようになってきたようです。つまり過去の汚点や、悪習等残す必要はないが、諸事情により消せない もの、必要悪として存続しているものは伏せようということでしょうか。

世界遺産に認定してもらうのに「負の遺産」を隠す必要があったかどうかはわかりませんが、私自身はこうした「負の遺産」も含めて歴史だと思うのです。今の日本では死刑制度があります。この先数十年、数百年先になるともしかして死刑制度がなくなっているかもしれません。しかし数百年後に死刑制度が歴史的な「負の遺産」というようなことになったとしても、私が現在生きていて生活をこの日本で送っている以上、必死で頑張って生きていた時代の歴史として消して欲しくないと考えるわけで、処刑場跡もその時代の歴史と向き合うという意味で見たかったわけであります。

そこで検索等でこの記事を見られた方の中で、私と同じようなお考えをお持ちの方に、今は案内されていない処刑場跡の場所をここに載せようと思ったわけです。先程も書きましたが、私自身Webで調べてみましたが思うような結果を調べることがなかなかできませんでした。現地では地元の住人の方に処刑場跡の場所を訪ねてみました。「大変、お聞きしにくいことなのですが、処刑場はどの辺りにあったのですか?」「ああ、あれね・・・もう少し先だから、またその辺りで聞いてみて?」というような感じで、私が思っていた以上に皆さんちゃんと教えてくれました。島根県や大田市は「負の遺産」を隠そうとしているようですが、地元の皆さんはそんなことはなかったですね。

では早速その場所を。
現地でもいただけますが「石見銀山みてあるき」という案内に印をつけています。大田市市街地から来ると手前側の大森代官所跡バス停のところに駐車場がありますが(A地点)、そもう少し先の石見銀山公園のところ(B地点)にも大きな駐車場があります。そちらからはすぐの場所に処刑場跡があります。Bの駐車場からだと龍源寺間歩に向かって歩くと橋を渡ってすぐにCafe住留があります。その奥付近だと言われています。

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もう案内板もなにもありませんから、この辺りかなと思うところの写真も載せておきます。この写真は私は調べたWebにも載っていましたから多分間違いないと思います。やっぱり雰囲気は処刑場があったという何とも言えない空気だったような気がしています。

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もう一つの負の遺産である「千人壷」にも行ってきました。ここは山の中でなかなかわからなかった場所です。これについては近いうちにでも。

その「石見銀山 千人壺の場所」をエントリーしましたのでご覧ください。

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